「りゆう」について。
- kokorodesignkaigi
- 2014年10月3日
- 読了時間: 2分

当たり前かも知れないけど、
最近、色んな「りゆう」について考えている気がするし、
僕たちのまわりには「りゆう」があふれているなぁ、
なんて、思ったりもしています。
「なぜこれをするんだろう?」と、
これから始めることの「りゆう」を考えることもあるし、
「なぜこれをしているんだろう?」と、
既に始めていることの「りゆう」を考えたりもします。
「りゆう」を人から問われることもあるし、逆に誰かに問いかけたりもします。
そして、そのときどきにおいて、
「りゆう」の大切さを痛感したり、
「りゆう」に振り回されてしまったり、
「りゆう」の煩わしさや、危うさを感じてしまうこともあります。
今の自分である「りゆう」
最近、よく聞かれるのは、
「なぜ建築の仕事をしているんですか?」ということです。
そんなとき、僕は、
人が幸せに楽しく暮らすのをお手伝いしたいから、
そんな場所を作りたいから、
と、少し偉そうに、自信満々に言ったりしています。
この答えは、間違いではないのだけど、
初めからこんな「りゆう」をもって、
建築の仕事を選んだわけではなかったように思います。
初めは、なんとなく、かっこよさそうだから、
面白そうだから、
雑誌に載ってて興味をもったから、
みたいな、すごく漠然とした「りゆう」からスタートした気がします。
最近になって、「なぜ建築の仕事をしているんだろう?」と
改めて考えてみて、
自分の中にあった「りゆう」に気が付いたという感じで、
「りゆう」を後付けしているわけです。
何かを始めるとき
何かを始めるときに、「りゆう」が明確であれば、
進んでいくみち、選んでいくみちが分かりやすくなったりはします。
でも、少し言い訳くさいけれど、
「なんとなく」で始めてみることも、悪いことではない気がします。
僕は、「自分のことは意外とよくわからないものだ」と思っているので、
後から気付くことの方が多いと思っています。
「なんとなく」で始めて、失敗することもたくさんあります。
でも、始めてみてから、
怒られたり、ほめられたり、
拒絶されたり、求められたり、
だんだんと楽しくなってきたり、
ときには苦しくなったりして、
それで気が付くこともたくさんあります。
僕は油断すると、「始めない」ことを選択してしまうので、
迷ったときは、「りゆう」が曖昧でも、
「始めてみる」ことを心がけています。
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
「なんとなく」で始めていることにも、大切な「りゆう」があるかも。
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